2005年 07月 01日
一期一会 |
物との出会いは人と同じで一期一会だといつも思う。
特に私は下調べをして、探し回って買うということは
あまりしなくてピンときたものを買うことが多い。
家具でさえも、そんな調子なのだけれど
それで失敗したというものは意外と無い。
自分の「好き」だけを優先したら、たとえ、テイストが違っていたとしても
違和感なく溶け込むのではないかとちょっと思っている。
それは家具に限らず、小物や食器、ファッションでも。
カントリーな家具に大正時代に作られたと言う茶箪笥
アジアちっくな籠に無個性なソファとうちのインテリアには統一性がない。
食器だって作家物と100円ショップで買ったガラス製の花器を食器代わりにして
近くの養護施設の子供たちが作る個性豊かな器が同じ食卓に並ぶ。
失敗じゃないわ・・と思えるのはそれが端から見たらへんてこりんでも
ほかの人が好きじゃなくても自分の「好き」だけを集めたからこそ
自分だけが感じられる居心地の良さに繋がるのではないかと思う。
本屋に行くはずが、途中ふらっと覗いた地元のアンティークショップで
ピンときてしまった。そのお店はイギリスの重厚なアンティークばかりが
並ぶお店で、私の好きな感じとはちょっと違っているので
あまり覗くこともなく、いつも素通りしていたけれど店先に並んでいた
この椅子たちを見て座りたい衝動に駆られた。
特別、アンティークという物にこだわりがあるわけでなく
この椅子もあ、コレいいかも。と思ってほとんど衝動的に買ってしまった。
衝動的なのは買った勢いだけで、長いこと椅子は欲しいと思っていたけれど。
うちのダイニングテーブルの椅子が半分をベンチタイプにしていたが
背もたれが無いというのは疲れる。息子もベンチタイプだと前を向かずに
横座りをしたりと行儀が悪かったので、いずれは背もたれのあるものを・・と
思っていたのだった。
この椅子、チャーチチェアと言うそうで、教会で使われていたもの。
後ろにあるボックスは聖書を入れておく為のものらしい。
神父の長いお説教を聞いても疲れないような配慮なのか
座面は平坦ではなく、足とお尻に沿った窪みがついている。
イギリスからやってきたこのチャーチチェアには
全く私とは接点の無い人々が神に救いを求めた瞬間や
大切な人を亡くした悲しみも新しい家族を迎える儀式の喜びや
そんないろんな心や時間を受け止めて
長い年月を重ね、最終的に縁あって我が家へやってきた。
そしてこれからはうちの家族の悲喜こもごもを見つめ続けていくのだろう。
古い家の我が家にはこの椅子の使い古した感じが違和感なく収まっていて
新入りの感じはまったくない。新しく我が家にやってきた椅子たちに
座っているのは、私ではなく、夫と息子。
それぞれ個別に座ることが出来て、背もたれもついてる快適さは
衝動買いをしてしまっても許されるほど、心地良いらしい。
長いこと、安らぐ為に座られてきたことの無いこの椅子たちは
うちに来て心地良いと感じられて、ちょっと喜んでいるかもしれない。
特に私は下調べをして、探し回って買うということは
あまりしなくてピンときたものを買うことが多い。
家具でさえも、そんな調子なのだけれど
それで失敗したというものは意外と無い。
自分の「好き」だけを優先したら、たとえ、テイストが違っていたとしても
違和感なく溶け込むのではないかとちょっと思っている。
それは家具に限らず、小物や食器、ファッションでも。
カントリーな家具に大正時代に作られたと言う茶箪笥
アジアちっくな籠に無個性なソファとうちのインテリアには統一性がない。
食器だって作家物と100円ショップで買ったガラス製の花器を食器代わりにして
近くの養護施設の子供たちが作る個性豊かな器が同じ食卓に並ぶ。
失敗じゃないわ・・と思えるのはそれが端から見たらへんてこりんでも
ほかの人が好きじゃなくても自分の「好き」だけを集めたからこそ
自分だけが感じられる居心地の良さに繋がるのではないかと思う。
本屋に行くはずが、途中ふらっと覗いた地元のアンティークショップで
ピンときてしまった。そのお店はイギリスの重厚なアンティークばかりが
並ぶお店で、私の好きな感じとはちょっと違っているので
あまり覗くこともなく、いつも素通りしていたけれど店先に並んでいた
この椅子たちを見て座りたい衝動に駆られた。
特別、アンティークという物にこだわりがあるわけでなく
この椅子もあ、コレいいかも。と思ってほとんど衝動的に買ってしまった。
衝動的なのは買った勢いだけで、長いこと椅子は欲しいと思っていたけれど。
うちのダイニングテーブルの椅子が半分をベンチタイプにしていたが
背もたれが無いというのは疲れる。息子もベンチタイプだと前を向かずに
横座りをしたりと行儀が悪かったので、いずれは背もたれのあるものを・・と
思っていたのだった。
この椅子、チャーチチェアと言うそうで、教会で使われていたもの。
後ろにあるボックスは聖書を入れておく為のものらしい。
神父の長いお説教を聞いても疲れないような配慮なのか
座面は平坦ではなく、足とお尻に沿った窪みがついている。
イギリスからやってきたこのチャーチチェアには
全く私とは接点の無い人々が神に救いを求めた瞬間や
大切な人を亡くした悲しみも新しい家族を迎える儀式の喜びや
そんないろんな心や時間を受け止めて
長い年月を重ね、最終的に縁あって我が家へやってきた。
そしてこれからはうちの家族の悲喜こもごもを見つめ続けていくのだろう。
古い家の我が家にはこの椅子の使い古した感じが違和感なく収まっていて
新入りの感じはまったくない。新しく我が家にやってきた椅子たちに
座っているのは、私ではなく、夫と息子。
それぞれ個別に座ることが出来て、背もたれもついてる快適さは
衝動買いをしてしまっても許されるほど、心地良いらしい。
長いこと、安らぐ為に座られてきたことの無いこの椅子たちは
うちに来て心地良いと感じられて、ちょっと喜んでいるかもしれない。
by himawari_August
| 2005-07-01 22:17
| くらし